『so:but[and]=1,2,3,4』をみて

文化
日向市のカフェさんくさんで上映会が行われました

2月17日(日)、日向市のcafeさんくさんで、しょうぶ学園のドキュメンタリー映画『so:but[and]=1,2,3,4』をみました。

風舎さんの作品展チラシ
同時開催の風舎さんの作品展チラシ。とても素敵

どっちが障害者なのだろう?

福森伸さんが映画の中で何度か繰り返した言葉です。
福森さんはしょうぶ学園の利用者のことをあえて「障害者」と呼び、利用者にも「障害者」ってなんだろう?と問いかけます。そこにあるのは利用者もスタッフも「人間」として尊重する態度。

福森さんは「障害者」のことを尊敬し、彼らに憧れ、愛しています。
どうしても作為的になってしまう自分。彼らがありのままに無心であるのに対し、私たちは無心であろうとしてもなかなかなれません。どうしても作為が混じってしまう。

「障害者」である彼らは生まれながらにしてアーティスト。いとも簡単に自然体で個を解放しているように見えます。対して「健常者」である福森さんが抱えるのは、個を解放したいと望んでもなかなかしきらないという苦悩。そして孤独。

映画の最初の方で映し出された福森さんの後ろ姿。無音の映像は、福森さんの感じる孤独を私に伝えてきました。私たちは矛盾している。苦悩し葛藤する福森さんは、「障害者」に強烈な憧れを抱き、彼らを愛しています。

nui project
しょうぶ学園のnui projectの本。美しい

美しい記録映画でした。
音に体を預けてくるくる踊る、当時二才だった息子の姿を、何度も思い浮かべました。気持ちよさそうではっとするほどの美しさ。
福森さんが「障害者」に憧れるのはきっと、私が息子に憧れるのと似ている、と感じました。

祈りたくなる映画でした。
この世に「障害者」は存在するのか。存在するならそれは誰なのか。たとえば「壊れた人間」は存在するのだろうか。

「障害者」も福森さんもスタッフもみんな、美しい人間でした。

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