相互依存の中で生きる

子育て

みんな相互依存の中で生きている

人は誰もが相互依存の中でしか生きていけないそうです。

この話をはじめて知ったとき、私は目から鱗が落ちました。ずっと、ずっと、「依存」=悪だと思って生きていたからです。誰かに依存してしまう自分は否定しなければいけない、と思い込んでいました。苦しかったその状態から、解き放たれたように感じました。

子どもは「依存」と「反抗」を繰り返しながら、社会的に自立していくそうです。十分に「依存」して、つまり受け入れられて育った子どもは健全な育ちをしていくといいます。ありのままに認められ、無条件に愛されることは、自信を持つことや他者を受け入れる力につながります。

だから「依存」とは何も否定されるべきものではなく、誰もが必要とする過程なのです。

パートナーへの「依存」を自覚する

パートナーとの関係において、お互いに「自立」していることを求める声を時々聞きます。自分のことは自分でやる。その上で一緒にいたいから一緒にいる。それが理想だ。

「自立」と「依存」は表裏一体だということを自覚できたら良さそうだな、と私は思います。先の声は理解できます。お互いが健やかである場合、それは可能なのだろうなと感じます。

健やかなるときも、病めるときも。結婚式での誓いの言葉には、深い意味が込められています。パートナーと共に生きていく、ということは、順調なときだけを共にする、ということでしょうか。

そんなつもりでいる関係があっても否定はしませんが、多くの関係では「健やかなるときも、病めるときも」共に愛し合い支え合っていたい、と思っているのではないでしょうか。

そうであれば、私たちは「依存」し合っている、という前提で関係を捉え直してみるのはいかがでしょうか。

具体的にどちらがどんなことに依存しているのか認識しておくことは、「自分ばっかり」と思う気持ちの解消にも役立つかもしれません。関係を持続するためにも、良好な形で関係を終わらせるのにも大切なことではないでしょうか。

迷惑をかけ合い、頼り合う

人に迷惑をかけてはいけない、という言葉を聞くと、寂しくて悲しい気持ちに私はなります。迷惑をかけないことばかり意識して生きてしまうと、いつか大きな、迷惑の範囲に収まりきらない事態を招くような気がしてなりません。

人を頼ることは、人に迷惑をかけることだ。だから、なるべく人を頼らずに自分で解決しなければならない。私も数年前はそう思っていました。

ありがとう。私に話してくれてありがとう。」頼らざるを得ない状況になって、助けを求めたとき、その人が私にくれた言葉です。ハッとしました。人を頼ってそんな反応が返ってくるとは思っていなかったからです。

繰り返し、その人を頼り、力を借りる中で、温かい感情が芽生えていくのが私には分かりました。だな、と思いました。迷惑をかける、頼る、それを受け入れるということは、人の人に対する愛そのものだと気づきました。

私たちは人間です。関わり合ってしか生きられません。頼り頼られ、迷惑をかけかけられて生きていきませんか。依存したっていいじゃないですか。もう、機械的に、事務的に生きることはやめにしませんか。

人と人とのつながりを大切にする

クラウドファンディング、という仕組みがあります。様々な理由でお金を必要としている人に対し、 共感した人がインターネットを通じて支援をするものです。

私も支援したことが数回あります。支援までいかなかったとしても、私が興味を惹かれるプロジェクトの共通点の一つは、「人と人とのつながりを大切にしている」ということです。

たとえば「『注文をまちがえるスープ店』を開催し日向市に高齢者の働く環境を作りたい!」とか。

これは知人が関わっているのもあって思い入れがあるのですが、何より気に入ったのは、このプロジェクトの先に人と人とのつながりができていくことが見え、なんだか温かい気持ちになる点です。

こういうプロジェクトを見ると、私たちはもっと迷惑をかけられたいと思っているし、もっと言えば迷惑を迷惑と思わずに当たり前に受け入れ合いたいと思っているのではないか、と私は思います。

「依存」したり「迷惑」をかけたり「頼る」ことを恐れ避けるのは、もうやめにしませんか。

依存が怖くなくなる読書案内

  • 佐々木正美『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』小学館、2012
  • 細川貂々『ツレがうつになりまして。』幻冬舎、2006
  • 西村佳哲『一緒に冒険をする』「ともに生きる、基本的なメカニズムの話」弘文堂、2018
タイトルとURLをコピーしました