目の前の人と、互いに尊重し合えているだろうか?

福祉

人として尊重されることが自己肯定感を育てる

人として尊重されたい、という思いはみんなが持っています。
もしも、一人の人として見る前に属性だけで判断されてしまったとしたら。

悲しい、でしょう。
それは、寂しい、に変わり、やがては「自分は大切な存在だ」という思いが少なくなっていくかもしれません。

属性に限らず、人として尊重されることが自己肯定感を育てることにつながります。

はたらき方が自己肯定感につながる

与えられた仕事をただ「作業」としてこなす。「個」は組織の歯車に過ぎない。(もっと言えば、そもそもその組織は外部からの働きかけが大きくてつくられた組織である。)

一方で、「個」が「得意なこと」や「つづけられること」を仕事にすることができる。その場で生まれた仕事を重ねていく場である。

どっちにいるときに、人が人らしくいられるでしょうか。その人らしくいられることはそのまま自己肯定感につながります。

「障害者」という属性を持つ人たちも同じです。

その人らしくいられる仕組みをつくる

「障害者」と「支援者」というように、「支援してあげなくてはいけない」というとらえ方で、ハッピーになるのは誰だろう?

「支援者」がつくった仕事を「障害者」に渡すのか。「障害者」が「得意なこと」、「つづけられること」を仕事として成り立たせつづけていくのか。この2つは真逆です。

人がつくった仕事を「やらされている」とき。自分が得意なことやつづけられることを仕事にできるとき。あなたはどっちが幸せですか?

「一緒に冒険をする」

 

「個」が薄まっていく仕組みを抜け出して、裸になって「個」で人と接したとき、そこに居場所が見つけられたなら、とても幸せです。

その表現の仕方はそれぞれ違います。まだそれを見い出せていない人にも、必ず自分に合う表現方法があります。

その表現方法を共に探す過程を楽しんで見る。急がずにゆっくりと時間をかけて。
たとえ「支援される人」と「支援する人」という立場にあったとしても、そうすることが人として尊重し合う、ということではないでしょうか。

 

※以上の文章は、西村佳哲『一緒に冒険をする』「障がい者施設の冒険」をヒントに自分の考えを整理したものです。

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